技術資料は訳してはいけませんか

なにかと話題のitojun氏は、少し前にmixiRFCコミュに入ってきた。で、RFCは訳してはいけないとか何とかいう謎のコメントをつけた自己紹介を残していたので、ちょっと反論してみたのですね。
そのときは、自分が何カ国でも話せるとかそういうわけのわからない主張でしたが。
訳してはいけないと主張する人達は、基本的には誤訳で意図が伝わらない、という一点を主張している。
では、訳さないとどうなるか、英語が苦手で原文読まない人達が、RFCの実装だけを見て真似をしてしまうことになります。
日本人はなぜか憶測などで話が決まると、それだけが伝わってしまうところが多々あるようで、とくにMLなどの特定の事象を引用してまわったりしている例が多いようです。もっとも大きいのがUTF-8Nでしょうね。こんな文字コードどこにもありません。IBMの人が仮で名付けただけなのです。本当はUTF-8Nと呼ばれているものがUTF-8で、それと比較してUTF-8と呼ばれているものは本来のUTF-8ではありません。
RFC、その他技術資料が訳されていれば、このような誤解も減ると思えませんか。
正しい意図が伝わらない、その部分については、今までなら書籍なりなんなりになって、訂正、改定、そんな感じのことが容易ではありませんでしたよ。意味が読み取れない部分があれば訳し直せばいいんじゃないですかね? 訳がわかりにくくて一部の人が誤解するより、訳がなくて多くの人が誤解する方が困るんじゃないですかね。
英語圏の人は日本語のRFCのような資料があれば、誰もが訳さず読めるのでしょうか? 訳さないと読めないはずです。日本語のは英語に訳してはいけませんとか言ってみるとどうなりますか。
Wikiとかそういう編集方法もありますし。自分で努力して読め、といわれても、その人が誤訳するだけですね。原文も参照することは大切ですが、訳したものもあればより助かるのは、違うんですかね?
日本人はオープンソースへの貢献が少ない、これも言葉の壁に関わるところが大きい。もともとみんな英語ができればいいですが、そうではなかった人の方がおおいんじゃないですか。一方的に英語から日本語ばかりがよいというわけでもありません。日本語で良い資料を作り、それをRFCなり何なりの参考になるように英語や他の言語に訳していくことも大切ではないですか。Wikipediaなんかがそうなりつつありますか?